日々日記

日々のあれこれを書いていこうかと。

「夜と霧(旧版)」を読みました。

この本は、社会人になったばかりの頃に読みましたが、その頃は今よりもじっくり読むということはしていなかったので、読みにくいという印象が強かったです。

最近読んだ本(生きがいについて、悩む力)に本書が登場するので、改めて読んでみようと思い引っ張り出してきました。

 

読んでみると、やはり気付きが多かったです。

 

辛い、苦しい状況に身を置くことで大切なことに気付く。その気付きの要素はすでに持っていて、見えていないだけの可能性がある。

 

フランクルは「愛」の力に気付き、これが生きる意味、力になりました。他の生存者の著書には「友情」に支えられたと書いてありました。

 

厳しい環境であるからこそ、そこで見つけたもの(物質ではなく)が深く自分に刻まれて、それが今後の人生でも大切なものであり、自分の拠り所になっているのかな。

 

ただ、著者が体験した厳しい環境というのが、-20度の中で手袋も無しで土工作業や、夜寝る前に虱を取れることが喜びなど、想像してもし切れないほどの環境だったので、読んでいて苦しかったです。

 

このような厳しい環境でも奪い去ることがきでないものがありました。それは「精神的自由」です。精神の豊かさにより、人として正しい態度を示すことができるのです。飢えた人に自分のパンを分け与えたり、励ましたり、祈りを捧げたり、愛を感じたり、友情を感じたり。

 

それでも、厳しい状況に置かれたら、生きる意味に疑問を持つのが普通ではないかと考えてしまいます。しかし、フランクルは「人生の意味を問うのではなく、人生から問われているのだ」と言います。それは「あなたを待っている誰か、何かがある」と。その問いかけ1つひとつに決断を下し、歩んでいくことが人生の問いに応えることであり、生きる意味になっていくのかなと。

 

厳しい環境を耐え抜いて解放されても苦しむ人がいたと書いてあったことには驚きました。離人症になったり、権力と暴力の被害者たっだのに解放されてもそれに固執し、自分が恣意的にそれを利用できると思い込んだり、もといた場所に戻っても安っぽい決まり文句を言われたり、自分たちも苦しかったというようなことを言われると「何のための苦労だったのか」と不満と失望に襲われたそうです。

 

フランクルは、そんな底無しの苦悩から助け出すのが心理学者(自分の役目であり、生きる意味)であると言います。人間はここまで人格者になれるかと圧倒されますし、感動します。

 

「夜と霧」を読んだ後、すぐに「100分de名著 夜と霧」を読んだので、理解が深まりました。生き抜いて素晴らしい著書を残してくれたフランクルさんに感謝です。